震災の日(1)

昨日は1月17日だった。
テレビでもいろいろ特集番組をやっていたが、
思い起こせば13年前、うちもそれなりに大変だった。
震災の日の半年少し前、私は結婚して大阪の高槻市というところに住んでいた。
そこでも、朝はかなり揺れた。
近所の酒屋さんの前を通ると強く酒のにおいがした。
かなりの数の瓶が倒れたのだろう。
テレビをつけると、神戸の様子が映っていて、
見たこともないとんでもない光景だった。
神戸は家内の実家だ。すぐ家内の実家に電話したが、もちろん通じなかった。
電車も神戸近辺では動いてないのがわかったので、
自転車で神戸に行くことにした。
簡単な食料や飲み物などを買って出かけたが、これが後で役に立った。
神戸に入ってからコンビニに入ってもほとんど物がなかったからだ。
うちは当時車を持ってなかったので、自転車で行ったのだが、
それも正解だった。神戸に向かう車道は大渋滞だった。
結局、4時間ほどかかって神戸の東灘区に着いた。
途中見た光景は、まるで写真や映像で見た終戦直後のようだった。
高速道路が折れて落ちているのも間近で見たし、あちこちで火が燃えていた。
家内の実家もつぶれていた。
家内が怖くて見られないというので、やはりつぶれた隣の家の瓦礫を上って、
実家の塀につかまり、中を見てほっとした。
義理の父が壊れた家の中で坐っているのが見えたからだ。
すぐ家内に言った。「おーい、お父さん生きてるぞ!」
気づいた義父が「おー、来てくれたんか。」と言った。
中に入って見ると、家内の部屋があった2階や階段はなくなり、
家の中はぐちゃぐちゃだった。
義父はその壊れた家の冷蔵庫からビールを出してきて、
「まあ、これでも飲んで。」と自分でも缶ビールを飲んだ。
平静を保ちたかったのだろうと思う。
実家には、家内の両親と祖母が住んでいるのだが、
ちょうどそのとき、家内の姉が嫁ぎ先の四国から、
7ヶ月になる双子の赤ちゃんを連れて里帰りしていた。
奇跡的なことだが、その誰もが怪我ひとつせず、
近くの小学校に避難していた。
家内の両親は、ともに四国出身の熱心な真言宗の信者で、
特に母は毎日朝5時に起きて、般若心経を読むのを欠かしたことがなかった。
最も被害の大きかった場所の一つである東灘区で、
家が全壊という状態でありながら、
赤ちゃんを含めた6人が怪我一つしなかったと聞き、
その信心深さを知る身内は皆、「さもありなん」と思ったという。